車の中からキラキラと夏の光を浴びた双六川を見、あれ以来潜ることがなくなった水の記憶を手繰った。
昔の子どもたちはプールではなく川で泳ぎを覚えた。そこでは白帽子につける赤線の数を競うようなことはなく、顔をちょっと水につけさえすれば、誰でも不思議な水の世界が楽しめた。水中メガネは足元の近くで群れになって泳ぐ稚魚を映し、流れの速い瀬の下では、若鮎が右往左往に目まぐるしく動き回るのが面白いように観察できた。
やがて深く潜れるようになると、透明な水の心地よさ、不思議な浮遊感が体に翅はねをひろげ、重力から解き放たれた自在感に魅了された。こうして泳ぐすべも、潜るすべも夏の川で身につけ、水の味を肌で覚え、水と馴染みを重ねた。
急峻な山間を縫うように流れる双六川に手を入れ、口にふくんでみた。驚くほどに冷たく、そしておいしい。それ以上に驚くのは水の透明度で、ガラスのように透き通った水の深みはモルディブやフィジーなどの海の透明度とは比べることのできない蒼(あお)を含み、急流ほとばしる荒瀬や淵や瀧などで趣を変える。
水はその澄明(ちょうめい)さの中を、どこまでも自在に行き着かせてくれる自由な魅力を含んでいる。
写真右○上宝町金木戸/双六川
(right) Sugorokugawa River, Kamitakara-cho Kanakido
写真左○上宝町蔵柱/むらさきつゆ草
(left) Purple Dayflowers, Kamitakara-cho Kurabashira
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