飛騨人の透明さ。 text by koichi  Inakoshi 稲越功一

飛騨人の透明さ。

稲越功一 text by Koichi Inakoshi

  高山は稀に見る希有な町と言っていいだろう。そう想うのはそこに住む人たちの郷土愛が他よりも強いからだ。
 私はいま、そのような町で少年時代を過ごしたことを本当に良かったと思っている。そしていまの自分を支えてくれているのは「高山と言う不思議な磁場を持った土地」で生まれ育ったからだと感じている。
 私は高山には二十才までいた。母親の関係で名古屋で五年間過ごしたその後、上京し、東京生活が始まった。その生活も四十年が過ぎようとしている。
 東京にきた当時は、東京オリンピックの後と言うこともあって東京全体は大いに活力もあり、華やかだった。若かった私は東京暮らしが辛く、高山で育ったことに劣等感みたいなものを感じることもあった。
 当時の地方の町々の特徴は良い意味でも悪い意味でも東京とはかなりの違いがあった。それはいま思えば逆に地方の街の豊かさがいま以上に優れていたことでもあったのに…。
 今回、高山市制施行七十周年記念誌のために写真を撮る機会を頂いた。六十才を過ぎ、何年か振りに高山のすべてを廻って撮影した。その中には初めて行った町も多かった。私はシルクロードを始め、世界のいろいろな国を訪れてきたが、その中でも高山ほど清澄な土地はないと思っている。
 飛騨の人々は、その笑顔がとてもいい。初対面の人に対して恥ずかしそうに、微かに笑うその顔には澄んだものがあり、一瞬、その眼の優しさに暖かく包まれる感じがした。
 "風土が人を創る"と言うが、まさに飛騨人の心の透明さはこの穏やかな風土からくるものだろう。特に年配の人たちの顔には、長年住みなれた土地との一体感があり、ごくごく自然に風景に溶けこんでいるその姿は見ていて美しい。
 私は高山に生まれたことにますます自信を持つ今日、このごろである。