[鼎談]子どもたちに託す、十年後の高山へのメッセージ。今、心に映る高山をいつまでも。/作家・クレヨンハウス主宰落合恵子/写真家稲越功一/高山市長土野守

子どもたちの目線で気づかされたチャーミングな高山。

 

稲越 ぼくは『私の好きな高山』というテーマで、高山の小学生にリサイクルカメラで写真を撮ってもらう企画をプロデュースしています。「自分の目で高山を見直してみよう」という思いがきっかけだったのですが、これが意外に難しい。観光地としての高山、自分たちが暮らす日常の高山。この二つの顔を持つ高山をどう捉え、どう表現するのかを考えていたら「言葉で写真を撮ってみたらどうだろう?」と思ったのです。身辺雑記ではないけれど、私小説的なフレーズを映像にするんですね。子どもたちに「言葉で写真を撮りなさい」と言うと、最初は「えっ、先生、なに言ってるの?」というような顔をして戸惑っています。言葉に置き換えることによって、自分が何を撮りたいのか、それをだれに見せたいのかを考えるように伝えると、子どもたちは瞬時に自分の心を真っ白にして見直し始めるんですね。それは、ぼく自身にも大きな発見でした。この活動は毎年行っていますが、「子どもだから」という課題を与えるのではなく、大人として扱うようにしています。時には、課題に対して自分はどう考えるのかと問いかける。そうすると、段々、子どもは自分たちで答えを見つけていくんです。単に写真と言うことではなく、何を見て、どんな思いで日常を見ているかが段々わかってくる。それは、とても純朴で素直で、五十人いれば五十の答えが返ってくるんです。こうした子どもたちの変化に、ぼくはとても触発されますね。

落合 あえて子どもたちに難しいテーマを託すのは、とても素晴らしいことだと思います。子どもだからこのへんでいいかなっていう、お子さまランチ風なテーマにしてしまうことは、実はとても失礼なことだと思います。私も三十年間子どもの本の専門店「クレヨンハウス」で子どもやその親ごさんと関わっていますが、展覧会などでかなりハードルの高いテーマを投げかけたりしますと、それをスーっと自分の感受性の中に取り込めるのは子どもの方で、大人は能書きを勉強しないと入って来られないことがあります。

   

 この記念誌のために稲越さんが撮られた写真を拝見したのですが、特に子どもと一番年の離れたお年寄りの方々がとてもいい顔をされていますよね。こんなにイキイキとされているお年寄りの笑顔には、残念ながら東京ではあまり出会えないなぁって思います。赤ちゃんや子どもが生きる空間に、お年寄りが自分であることを捨てないでいっしょに生きられる町なんだなと、しみじみ思いました。子どもの世界では、一九八〇年代くらいから「さんま」がなくなった、と言われます。この「さんま」とは、「時間 」「空間 」「仲間 」の三つの間のことで、大人社会が子どもたちから奪ってしまったんですね。でも高山には、この「さんま」が見事に残っているし、自然も、現在進行形の暮らしもある。それらがそろっているなんて、なんと素敵なことなんだろうと思います。

稲越 まさに、そこになかなか気がつかなかったんですね。今年の夏に子どもたちが撮った写真を東京に持ってきて、六本木ヒルズで展覧会をしたのですが、東京に居ながらにして改めて高山を見ますと、高山で見ていたものとは違って「こんなチャーミングなまちだったんだ」と再発見できました。今から十年後、二十年後、後、子どもたちが「あの時、先生が言っていたことがわかった」とか、今とは違う答えが出せた時、まちづくりも大きく変わっていくのではないかと思います。そういう意味では、高山の将来は安心かな、と思っています。

落合 今、子ども時代がないまま大人になってしまう人がとっても多いと思います。いかなる子ども時代を過ごしたかによって、その人の人生がまったく違ってくるんだと思うのですが、稲越さんが撮影された高山の人たち一人ひとりの表情って、とってもいい。何なんだろうなあ。ちゃんと自分を生きていますよっていう顔をしてて。子どもたちにしても、「遊ぶ時間をちゃんと大事にしているよ」っていう顔をしている気がするんですね。そんな表情を見ると、この子たちの十年後、二十年後、三十年後、四十年後へのチケットのような、「幸せの保証」が見えてくるように思えます。

鼎談 - 目次 いい顔をした人たちと、いい風土。それこそが、観光資源。 >