永平寺を開いた道元禅師の言葉に「杓低一残水、汲流千億人(しゃくていのいちざんすいながれをくむせんおくのひと)」というのがある。
「柄杓の底に残ったわずか一滴の水でも川に戻せば、多くの人間がその恩恵を もらえる」という意味なのだが、常に半杓の水を子孫のために残したという話の 真意は「勿体(もったい)ない」という精神そのものだ。
水といえば山里に住む人たちは、裏山から湧き出る豊かな清水を、それぞれの家に引き込んだ、自前の洗い場(水屋)を持っている。流れ落ちる清水を一段目、 二段目と区分けし、上は飲料水に用い、下の段では野菜を洗い、夏野菜などを冷やす。家によっては洗面所も兼ねた水屋があり、森羅万象の息づかいに耳を澄ましながら、朝のひんやりした空気の中で顔を洗うひとときは、考えてみればなんとも贅沢な話である。
水屋には山川草木に宿る「いのち」を大切に使わせていただき、再び母なる川へお返しするという原始的な営みがあるが、最近では山里にも上水道が完備し、 水屋を見ることは少なくなった。
「若いもんは冷蔵庫でチンチンに冷やすけど、わしゃ、ここで冷やしたビールが好きやな」
持ち主は水屋を指差し、少し恥ずかし気に語った。
清水は夏・冬にかかわらず水温は同じで、雨量に関係なく流れる水量も一定だ と聞いた。天然なるゆえの不思議さが清水にはある。
写真右○国府町三川/水屋
(right) Water Basin, Kokufu-cho Sangawa
写真左○国府町広瀬町/水田
(left) Rice Field, Kokufu-cho Hirose-machi
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